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事務局:大澤 (FAX 0566-76-3595)

日本ハーモニカ芸術協会
中部支部連合会

   平成29年度 お知らせ


高木恒也さんが日本ハーモニカ賞を受賞

  4月23日(日)全日本ハーモニカ連盟総会で授与式がありました。今回の受賞者は10人で、中部地区からは高木恒也さん(名古屋市。カトレアハーモニカクラブ代表、当会 アンデパンダン副委員長)が受賞されました。

第7回 複音ハーモニカコンクールで小野俊子さんがシニアの部で第1位に入賞

  11月4日(土) 第7回複音ハーモニカコンクール(日本ハーモニカ芸術協会主催)の本選ライブが、東京都荒川区の日暮里サニーホールで開催されました。 予選には合計60人の応募があり、予選審査の結果 ジュニアの部 5人、ミドルの部 8人、シニアの部 8人の方が本選ライブに選出されました。
 日芸協中部支部関連では、シニアの部で、第1回コンクール(2011年)で第3位を獲得されている小野俊子さん(岐阜県)が出場され 、見事 第 1位を獲得されました。また、布施典男さん(静岡県)が奨励賞を受賞されました。中部支部は昨年もシニアの部で中瀬真佐夫さんが第1位を獲得されており、2年連続で第1位の栄誉に輝きました。

◆ジュニアの部  小学生及び中学生
1位 龍野真那  (東京都)    人形の夢と目覚め
2位 佐藤現喜  (神奈川県)   鯉のぼり
3位 萩野谷咲映 (神奈川県)   ゴセックのガボット

◆ミドルの部  高校生以上70歳未満
1位 中西基起  (東京都)    「青葉の笛」幻想曲」
2位  藤原尊子  (神奈川県)   ユーモレスクとスワニー河
3位 正井佳瑞麻 (神奈川県)   VALSENTINO

◆シニアの部  70歳以上
1位 小野俊子  (岐阜県)    「城ヶ島の雨」による幻想曲」
2位 星 幸江   (神奈川県)   エレジー
3位 橋本勝洋  (佐賀県)    砂山に寄せる抒情

日本ハーモニカ芸術協会発行「口琴芸術 2017年 夏 第206号
特集/名古屋のハーモニカの歴史と現在  いま、名古屋が熱い!」
の転載です。

 やわらかく美しい複音ハーモニカの音色が心地よく耳に届く。 一音一音に思いの込められた伸びやかで、ふくよかな音。「ひびけ! ハーモニカ」と題された石川澄男さんのCD「複音ハーモニカ名曲選」を聴く。 石川澄男、この人こそ名古屋を中心とする中部地区をハーモニカの盛んな地へと導いた〈中興の祖〉とでも言える人だ。 石川さんは今年、卒寿を迎えられた。五月には関係者を集めて祝賀会が行われたばかりだ。

ハーモニカが名古屋で盛んなワケ  

 名古屋は日本のど真ん中、日本第三の都市圏中京地区の中心地で人口は230万人を超える。夏は有数の酷暑地帯としても知られ、冬は伊吹おろしが吹いて震えるほどだ。その極端な温度差が尋常ではない。そんな寒暖差がよい作用を及ぼすのか、歴史的にも優れた人材が輩出している。 鎌倉幕府を開いた源頼朝が生まれたのが熱田神宮のある熱田区。戦国時代・安土桃山時代の武将、織田信長は中区で、かの豊臣秀吉は中村区で誕生した。それ以外にも信長に仕えた戦国の武将、柴田勝家や丹羽長秀、信長・秀吉に仕え、加賀百万石の礎を築いた前田利家、秀吉に仕え、秀吉没後は家康に近づいた加藤清正たちも皆名古屋の出身だ。 そして三河に生まれた徳川家康は江戸三百年の時代を開いた始祖。彼が築城した名古屋城は金のシャチホコで有名だ。考えてみれば武士の台頭した時代から江戸時代まで、名古屋出身者は日本の歴史の中心で活躍した。 世界の知性の象徴、ノーベル賞を受賞した利根川進、小柴昌俊、益川敏英も名古屋およびその近辺の出身。名古屋大学からはノーベル賞受賞者が六名も出ている。 知性のみならず気品の象徴といえば、日本中を感動の渦に巻きこみ、惜しまれつつ現役引退を表明したあの浅田真央も名古屋出身。 そしてわがハーモニカだって名古屋。なんてったっていま、名古屋が熱いのだ。

ハーモニカ音楽の理想を語る
 ここまで名古屋がハーモニカが盛んになった第一の要因、単刀直入に言えばそれは石川澄男(現・中部支部連合会名誉会長)というハーモニカ情熱人の存在を考えないわけにはいかない。人、つまりは優れた人材なのだ。 昭和3年生まれの石川澄男氏は、昭和13年に初めてハーモニカを手にしたという。まだ十歳になったばかりの少年時代のことだ。故岩田鍠次郎氏に学び、やがて佐藤秀廊先生と出会い、学ぶ。佐藤先生が名古屋に来訪の折は石川氏の自邸に泊めるほどの親しさだったという。のちに岩崎重昭氏とも親交を結んで岩崎宅へも何度も足を運んだ。 佐藤秀廊先生の考案した複音ハーモニカの日本的奏法への理解と、それを発展させつつある岩崎重昭氏への共感は人一倍強かった。ことに岩崎氏は同じ昭和3年生まれでもあり、親密な同士ともいうべき存在だった。 「この音色の何が美しいのか、この奏法のどこがすばらしいのか」。お弟子さんたちには常に実際に模範演奏を聴かせて音楽への理解を深めさせた。ハーモニカ音楽のあるべき理想を語り、日々それを自身の演奏にも指導の中にも課し、実践していった。

中部支部連合会の発足  
 実は名古屋には「中部ハーモニカ連盟」(CHF)という全日本ハーモニカ連盟傘下のハーモニカ愛好者の組織が1979(昭和54)年に先行してつくられ、いまも続いている。石川澄男氏の師にあたる岩田鍠次郎氏が初代会長で、この連盟がつくられた経緯は、1977(昭和52)年、全日本ハーモニカ連盟が取り組んだハーモニカ渡来150年祭のキャンペーンがきっかけだった。 名古屋名鉄百貨店で催された「ハーモニカ150年祭」に岩田鍠次郎氏が出演、それを聴いた中日新聞の記者が岩田氏のハーモニカ人生を取材。写真入りの大きな記事になると名古屋の楽器店が教室の開講を提案。そこにハーモニカの愛好者が集まり中部連盟の母体となった。石川氏ももちろん連盟の役員として名を連ねている。全国的にみてもハーモニカ復活の波はこの頃から萌したのではないか。 そうしたなか1984(昭和59)年6月、石川澄男氏は彼が指導する教室の生徒さんたちおよそ30名を会員として、名古屋と三河の二支部を立ち上げ、日本ハーモニカ芸術協会傘下の中部支部連合会をつくる。NHK教育テレビが「やってみましょうハーモニカで楽しく」というタイトルで、ハーモニカ入門者向けの番組を全4回で放映する少し前のことだ。 石川澄男氏は会長に就任。もちろん当初の中部支部連合会はまだ会則もなかった。この会が現在のように大きく育っていくことはその時点では想像もできなかった。関西と九州でもこの頃に支部連合会がスタート。石川澄男氏、50代半ばの働き盛りの頃の話だ。

愛好者・指導者を育てる  
 1988(昭和63)年、中日新聞が主宰する中日文化センターのハーモニカ講座が開講する。講師を受け持ったのは石川澄男氏だった。中日新聞は発信力のある地方の有力紙。ハーモニカ講座開講が告知されると多くの問い合わせがあり、入門講座そして中級講座もすぐにできて石川氏は精力的に後進の指導に当たることとなった。さらに石川氏は各所でハーモニカ教室を展開してゆく。 ハーモニカ音楽の理想を実現するためには後に続く良き指導者を育てることが肝要、石川氏はそう考えたことだろう。もともと口数の多い人ではない。温厚な人柄ゆえ受講者の信頼も厚かった。 教室では模範の演奏を聴かせ、身を以てハーモニカ音楽の理想を理解させようとした。1992(平成4)年には日本ハーモニカ芸術協会の新しいグレード制度による準師範の合格者が1名誕生する。石川教室からは初めての合格者、それが現会長の小澤邦夫氏だった。 それ以降も年々合格者が増えて、その躍進は目覚ましく、現在にいたっては大師範1名、師範19名、準師範54名、指導者は合計で74名を擁する一大ハーモニカ王国をつくりあげた。そうしたなかに現在の中枢で活躍する加藤精吾氏、大澤龍巳氏など音楽に精通した優れた指導者が多数現れることとなった。 いまは石川氏が育てた指導者が各所で教室を開いて後進の指導にあたる。そこに貫かれているのは石川氏のハーモニカ音楽の理想だ。ハーモニカ愛好者の裾野を広げるシステムがようやく機能し始めたと言っていい。石川氏は1992年、日本ハーモニカ芸術協会より大師範の認定を受ける。

さまざまな〈仕掛け〉

まずは組織を固める
 「ハーモニカ音楽を発展させるためにも、育て上げた弟子たち同士、親睦を図りつつ人的関係をさらに強固なものにしよう」 石川澄男氏の頭の中にはそうした構想が常にあっただろう。1995(平成7)年には石川氏の弟子にあたる小澤邦夫氏とともに会則を整えることとなった。十年来続けてきた中部支部連合会のさらなる組織の確立を図ろうとの意図だ。小澤氏を中心に会則がつくられ施行されたのは7月の暑い夏のことだった。 以後、石川氏を中心とするあらゆるハーモニカ活動は、この中部支部連合会の活動として会員にも周知徹底されてゆく。活動の指針がより明確になり、さらなる展開へと繋げる活動基盤が完成したといっていい。 支部網は三河、名古屋東、瀬戸、岐阜、多治見、岐阜東濃、岐阜中濃、一宮、名古屋西、知多、四日市および福井の十二支部、会員数はおよそ800人にふくれ上がる。 会則はその後、幾たびかの改正を経て、2012(平成24)年、立派な一冊の冊子となって会員に配布される。ここに組織としての体裁が整った。  

定期コンサートを創る
 遡って1991(平成3)年、石川氏の指導する受講生が65名を超えた頃だった。2月に石川氏の指導する中日文化センターの教室のほか、田川昌生氏や飯尾恭一氏らが指導する教室、それに日本ハーモニカ芸術協会の福井や岐阜、三重、静岡などの支部も参加して「第1回新春交歓ハーモニカ演奏会」が開かれることになった。出演者は総勢百名を超える。会場は昭和区にある社会教育センターの視聴覚室。アンサンブルあり、独奏ありの6時間に及ぶコンサートだった。 この演奏会は1999(平成11)年からは「日芸協中部ハーモニカコンサート」と改称されて続いていく。この年の2月、「日芸協中部ハーモニカコンサート」は名東文化小劇場を会場に岩崎重昭氏をゲストに招いて開催された。出演者も上級者に限ることとし189人が出演。定員350人を超して立ち見が出るほどの盛況だった。 終演後には岩崎重昭氏の一時間にわたる講評が行われ、厳しい指摘もなされた。コンサートもまた学びの場だった。 このコンサートは2005(平成17)年からは有料コンサートとなり、いっそうの充実が図られていく。準師範以上の指導者・上級者が出演するのに加え、毎回ゲストを招いて本年で第27回にまでなった。 一方、1996(平成8)年8月には、各教室の発表の場として出演者を募り「第1回アンデパンダン演奏会」が勤労会館小ホールを会場に開かれた。こちらは広く一般会員に出演の機会を作ろうとの趣旨だ。いまも毎年8月に開催され、昨年で第21回を無事に終えた。 こうしたコンサートを創るのはコンサート委員会やアンデパンダン委員会だ。それぞれの委員会に委員長、副委員長二名、委員八名、会計一人、合計で十一名前後の役員がいて、年数回の打ち合わせを重ね、緻密な計画に沿ってコンサートを創っていく。それぞれが責任感を持って仕事をこなしている。 コンサートを通じて会員相互が切磋琢磨し、さらに演奏レベルの向上を目指す。いまの名古屋のハーモニカ演奏のレベルの高さは、定例化した二つのコンサートに依るところが大きいのだろう。

機関紙「日芸協中部」の創刊
 機関紙「日芸協中部」の第1号が創刊されたのは1998(平成10)年のこと。編集長は石川氏の弟子で地方紙の記者の経験を持つ矢野康晴氏だった。矢野氏は石川氏に情報の伝達と情報共有の大切さを提言、石川氏の同意を得ての創刊だった。 第1号のB4版両面2ページの紙面には定時総会や「第3回アンデパンダン演奏会」の成功が報告されている。そして石川澄男会長の「発刊あいさつ」や日本ハーモニカ芸術協会主催のヤマハホールでのコンサートの模様などもレポートされた。以後、年2回のペースで会員の動向や支部の動向、ハーモニカ界全体の動向なども紹介されて、次第に紙面も充実してゆく。 その後、B4版両面2ページだったのがA3版二つ折り4ページとなり、編集長も矢野康晴氏から蔭山日出男氏へと引き継がれていく。そして2012(平成24)年には発行回数を年4回と増やして、A4版両面2ページの「日芸協中部ニュース」へと生まれ変わっていく。 蔭山広報委員長を中心とした十名弱の広報委員たちによって2011年(平成23)年にはホームページも正式に立ち上げられる。 ホームページと機関紙「日芸協中部ニュース」の両輪を駆使して会員同士を繋ぎ、会員への情報発信の役割を果たしていく。会員相互の情報の共有がなされ、団結力も高まっていく。いまも広報委員会はアドバイザーを含め十名の大布陣で情報発信に努めている。

研修会を企画  
 中部支部連合会の創設時から会員の向上心は熱を帯びている。会員全体の演奏のレベルアップを図るために研修委員会が設けられ、委員長以下十三名の話し合いによってさまざまな研修会やセミナーが企画される。 複音ハーモニカはもちろん、バス、コードハーモニカの奏法の講座、また奏法だけではなく楽典や編曲講座なども頻繁に開催される。講師は中部支部連合会の師範であったり外部からさまざまな講師を招いたりする。 2010(平成22)年には日本ハーモニカ芸術協会会長に就任してまもない甲賀一宏氏を名古屋に招いて「あなたにも出来る音楽らしい表現方法」と題した研修会が開かれた。これは好評を博し、その後も甲賀一宏会長を招いての「佐藤秀廊アレンジ楽譜」研修会が2012(平成24)年以降、3回開催されている。今後も引き続き企画する予定だ。 また音楽の基礎を学ぶ楽典セミナーは小澤邦夫氏を講師として、『音楽通論』をテキストに、連続講座として毎年夏から冬にかけて開く。その他、編曲講座やメンテナンス講座、音響(PA)講座などのさまざまな研修会が随時開かれている。どれも会員の参加希望者が多く、その関心の高さには驚く。 好評だった「演奏技法に関する研修会」は、本年も7月に開催される予定だ。「美しい音楽を奏でるために」〜音楽の三要素を中心として〜と題され、第一部はリズム(大澤龍巳講師)、第二部はメロディー(加藤精吾講師)、第三部はハーモニー(小澤邦夫講師)の各講座それぞれ90分づつの濃密なセミナーだ。第1回目の昨年は、定員70名のところ200名近くの応募があり、急遽第二会場を追加しての開催だった。 進んで学ぼうとする会員たちの意識の高さ。それも会の運営が、そのシステムが十全に機能していることの証左と言っていい。

64名の指導者会  
 中部支部連合会に所属する講師が展開する教室はいま150教室に迫ろうとしているという。150教室、800人、そうした大所帯をまとめていくには、これまでみてきたさまざまな仕組みや方法がしっかり機能していなければならない。そのいわばエンジンともいうべき役割を担うのが指導者会と呼ばれるものだろう。 あらためて中部支部連合会の組織表に目を通す。名誉会長、石川澄男氏。顧問、矢野康晴氏、福田功氏。参与、浅野光夫氏。小澤邦夫会長のもとに副会長をおき、理事長、副理事長3名、事務局長、事務局次長2名、会計、会計副、それに監査。委員会はアンデパンダン、コンサート、研修、広報の4つが置かれ、それらから独立して指導者会がある。 指導者会とはその名のごとく、中部支部連合会に所属する準師範以上の指導者たちの集まりだ。64名からなるこの会、毎年新年には新年会を催し、夏にはグレード合格者を祝う会を開催してその都度交流を深める。気安い無礼講で指導者同士の横のつながりを太くする仕組みだ。 コンサートや研修会への会員の参加を促すのも指導者たちであり、それは指導者同士の信頼関係が構築されていなければ実現しない。厚い信頼関係をつくる場、情報交換、連繋と親睦を図る場がこの指導者会の年2回の集まりと言える。

ハーモニカ音楽への情熱

石川氏を突然襲った疾患  
 いまを遡ることおよそ十年前、2008(平成20)年4月、満80歳の卒寿を目前にした石川澄男氏は、日本ハーモニカ協会から長老栄誉賞を受ける。2005年の佐藤秀廊賞に続いての快挙だった。同じ4月に発行された「日芸協中部」第20号記念号に石川氏は「20号を祝う」の一文を寄せ、創刊10年目、20号の節目を迎えた感慨を述べ、広報紙の重要な役割に期待を寄せる。 その直後の6月25日のことだった。夕食を終えて二階の自室でコードハーモニカの修理を終え、依頼主への返送準備をしていた。夕食の時、石川氏の口がいくぶんよじれてよだれが出ているのを夫人は見ていた。「何か変だ」。夫人は異変に気がついて知り合いの看護師に電話をする。一過性の脳梗塞かも、との返事だった。すぐにタクシーを呼んで病院へ駆けつけた。 夜間診療の専用玄関に乗りつけ、車から降りようとした時だった。石川氏の足に力が入らない。意識も薄れその場に倒れこんだ。脳梗塞という疾患が襲ったのだった。(この経緯については「口琴藝術」2010年春号に、矢野康晴氏が「渾身のドキュメント ハーモニカ復帰への執念」と題して書かれている。参考にさせていただいた。) 「石川澄男氏倒れる!」 そのことはお弟子さんたちの危機感とともに結束力をさらに強める方向へと向かった。

ハーモニカ復帰への執念
 前述の矢野氏の一文に依れば、脳梗塞に倒れた後も、考えるのはハーモニカのことだったという。意識が正常に戻ると同時にハーモニカも“戻って”きたという。枕元に持ち込まれたのはC調のハーモニカ一本。これを退院までに吹きこなそうと決意したという。そしてリハビリに併せてハーモニカ復帰へのカリキュラムをつくりあげたという。 脳梗塞患者としては前例を見ない病院ロビーでの「退院演奏会」を計画、入院から二ヵ月後にはこれも見事にやってのける。多くの弟子たちに応えて一日でも早くハーモニカを持ちたい、そんな思いが強かった。ハーモニカ復帰への執念の凄まじさだ。 2010(平成22)年2月、「第20回日芸協中部ハーモニカコンサート」が愛知県産業労働センター大ホールで開催された。石川氏も2年間のリハビリを経て復帰、久しぶりにステージに立った。「荒城の月幻想的変奏曲」を吹く。吹き終えると万雷の拍手が会場いっぱい響いた。 このコンサートにはゲストで柳川優子さんも出演した。コンサートは大いに盛り上がって幕を閉じた。この年の6月には中部支部連合会も25周年を迎えたのだった。 石川澄男氏とは住まいも近所、働いていた会社も一緒だったという中部支部連合会の副会長、小林義行氏は石川氏のことを「温厚で、人一倍世話好き、友人や弟子たちの面倒見が良く、ハーモニカのことだけを真っ直ぐ考えている人」と評す。公私共々お世話になった人生の大先輩だという。 聞く人、聞く人、どの人の口からも石川氏の温かな人柄が語られる。静かな語り口のその内側には熱いハーモニカへの情熱が滾っていたのだろう。 石川氏の思いを受け継ぐ人たちが、石川氏の優しさ、熱い思いに感染して、互いに仲良く強い結束力で結ばれて、一丸となってハーモニカのさらなる高みを目指している。

活発な活動と華々しい成果
 最後に、ここ数年にわたる小澤邦夫会長以下、中部支部連合会会員の活躍の一端を紹介しよう。 中部支部連合会としての年2回のコンサートの他にも「なごやハーモニカ演奏会」や「全知多ハーモニカ演奏会」など各支部が主催するコンサートや発表会も実に盛んに行われている。自分たちの手でハーモニカの輪を広げていく。そんな意識がそれぞれの会員に自然と身についている。 また国内で開催されるハーモニカコンテストにも積極的に参加。身近な会員の入賞が大いなる刺激になって切磋琢磨するいい環境、いい関係がつくりだされる。  最近の成果を拾いあげてみよう。先ず「複音コンクール」では2011(平成23)年、シニアの部で加藤精吾氏が第一位、小野俊子さんが第三位。壮年の部で加藤暢嘉氏が第三位に入賞した。F.I.H.JAPANが主催するコンテストでも複音ソロ部門で寒竹由佳さんが第二位。特別賞に矢野康晴氏が。そしてこれまでの業績に対して会長の小澤邦夫氏が日芸協より佐藤秀廊賞を、全日本ハーモニカ連盟より日本ハーモニカ賞を受賞、嬉しいダブル受賞を果たす。  2012(平成24)年は「複音コンクール」ミドルの部で山田かおるさんが奨励賞。F.I.Hコンテストで大澤龍巳氏と森正義氏のデュオ「A・GARU」がデュエット部門で第二位。    翌2013(平成25)年には「複音コンクール」ミドルの部で山田かおるさんが第三位、松永彩花さん、岩田雅子さんが奨励賞。そして加藤精吾氏が佐藤秀廊賞、福田功さんが日本ハーモニカ賞をそれぞれ受賞する。 2014(平成26)年には「複音コンクール」で岩田雅子さん、戸田明氏、中瀬真佐夫氏が奨励賞。F.I.Hで加藤精吾氏が複音ソロ部門で第二位。新美富美子さんと渡辺一義さんが日本ハーモニカ賞を受賞した。  2015(平成27)年には「複音コンクール」で戸田明氏がミドルの部で第一位。F.I.Hで加藤精吾氏が二年連続の第二位に輝く。  2016(平成28)年には「複音コンクール」シニアの部で中瀬真佐夫氏が第一位。F.I.Hでは岩田雅子さん、小野俊子さん、大澤龍巳氏の「トリオ100」がアンサンブル小編成部門で第二位に入賞。そして加藤精吾氏が日本ハーモニカ賞を、2017年には高木恒也氏が日本ハーモニカ賞受賞と続く。名古屋のハーモニカの隆盛を示す事例だ。

学びたい〈名古屋モデル〉
 優れた人がいて、理想があって、その理想を共有し、実現する方法があって、団結し共に前進する仕組み。それがこれまで見た通りの名古屋モデルと言っていい。 ハーモニカ音楽をどのように考え、どうつくり、どう広めてゆくか。名古屋の事例は必ずや全国の皆さんの参考になるはずです。すでにその胎動は各地で始まっているのかも知れない。全国のあちこちに、あらたな〈名古屋〉の出現することを念じてこの稿を閉じようと思う。 きょうも名古屋の空には、どこからともなくハーモニカの澄んだ音色が聞こえてくるのだろう。名古屋の夏は、これからが本番だ。


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